9/29
 昨晩から母の体調が悪いらしい。少し疲れている様子なので、横になっているように勧めて、用事を済ませに難波に出掛ける。父が一昨日から旅行中なので、一人にさせるのは少し心配だったのだけど。
 母の体調が悪化していないだろうかと気がそぞろな上に、相手の話の要領が得なくて、いらいらして、涙目になったりした。でも、自分からアプローチした件だったので何も言えず、面談は長引く。
 心持ち急いで帰宅し、出掛ける前に作って置いたおじやを食べさせようと電子レンジに入れてから様子を見に寝室の扉を開けると、部屋の空気が違う。
 部屋中に響く激しい呼吸音。
 布団の中で母は高熱を出し、意識不明状態になっていた。
 呼びかけに反応しないので次ぎに肩を叩く。更に反応無し。
 布団についた汚れで嘔吐していることに気付き、硬直しきっている口をこじ開けて吐瀉物を掻き出し、首を横に向けて気道を確保。
 出来ることがないので、救急車を呼ぼうと、枕元の電話を手に取る。母に、余りに体調が悪くなったらどこかに電話するように言い置いて、枕元に移動しておいたコードレスの電話機。
 慌てて119をプッシュするが、呼び出し音が聞こえない。暫く待つが、妙な雑音が入る。
 不審に思いながら焦ってリセットし、もう一度番号を押す。……駄目。
 パニックを起こしそうになって、気付く。
 大声で受話器に叫んだ。
「誰か知りませんけど、さっさと切って下さい!! 救急車が呼べないんです!!」
……電話回線というのは、発信者が切らないと、繋がったままなのだ。どこの誰かは知らないけど、掛かってきた電話をとって母は暫く喋っていて、不意に意識を失ったのだと思う。けれど、相手は、母が不意に黙ったと思って、そのままで、今まで居たのだろう。叩き付けたいくらい憎さが湧いた。そりゃ、気付けというのも難しいだろうけど、もしかしたら、もう少しでも早く対応できたかもしれないのに!
 という事は、意識を失ってからそう時間は経っていないかもしれない。それを裏付けるように、電話機の向こう側で、慌てたような中年以上の女性の声が頷き、回線が切れる。もう一度リセットすると、鳴るのが当たり前の、いつもの発信音。119をダイヤルして、すぐに繋がる。
 思ったよりも冷静に、住所と母の容態、既往症、自分の施した対応を説明し、いま素人でも何かできる処置がないか聞く私。
 大声で、聞こえていないだろう母の耳に聞こえるよう話し掛けながら、躊躇したけれど部屋を出て、玄関と門を開け放す。何度も部屋に戻って母の容態を確かめ、救急車のサイレンの音が近くまで近付いてきてから、表に出て救命士の方達を誘導する。
 指示に従って、保険証とお金を鞄に入れて、咄嗟に、さっき買って帰った調理パンの袋も荷物に入れる。今、私が倒れたら困る。

 救命士の方が、母の瞳孔の収縮をペンライトで確認するのを覗き込もうとして、怖くて、動けなくなる。
 救急車を待つ間に、それくらい、自分でも確かめられたはず。でも私が確かめたのは、呼吸と、体温と、意識レベルだけ。
 だって瞳孔の収縮なんて、最後の最後に調べるものだと思っていたから。

 いっそ知識なんか無ければ、怖くなかったのに、と救急車の中で思う。
 バイタルサインが次々読み上げられていく、その意味なんか解らないでおろおろしてたらもっと楽なのにって。
「体温、40、41、よんじゅ……まだ上がってます!」
「血糖値、300、350……駄目です、この検査機400以上出せない」
「血圧、150-110」
 唯一慰められたのはSPO2(血中酸素運搬力みたいなもの)の数値。95。
 時間が経ってからこうして日記を書いているけれど、数値は覚えている。余りに怖くて。
 糖尿病の既往症があったけど、インシュリンコントロール出来ていた。そして高血圧ではなかった。
 人間の脳が高熱にさらされて受ける影響は、良く知ってた。

 数日前の、そう、台風の次の日、飼っていたコイが、水から跳ね出して、死んでいた。雨の後は酸素濃度が薄くなるから魚が跳ねるという事を知っていながら、大丈夫だろうと思って水面に蓋をするとかそういった措置をとらなかったことを、死んで堅くなってしまった魚を手に載せて悔やんだ。まだ臭くなりはじめていなくて、もう少し早く発見すれば助かったかも、というのが、辛かった。10年くらい育てたコイだった。そのコイのことを思い出して、怖かった。

 近くの総合病院に運び込まれ、脳外科の当直医師の処置を受ける。私の目を見て、はっきり物をいう人で、現状を説明し掛けて私が理解しているのに気付き、落ち着いて下さい、と言った。それから、気道確保の処置を誉めてくれた。ずっと手と、看護婦さんへの指示は、休んでいなかった。

 伝えられるだけの情報を出し切ってしまうと、もう私は出来ることがない。処置室の外で座って待つ。
 TVドラマで良くあるあの光景に自分がはまりこんでいるのを不思議に思った。可笑しい、とはちょっと違っている感覚だった。
 でもドラマと違うのは、落ち着け落ち着けと心で繰り返している私の前を、談笑しながら入院患者への面会帰りの人達が通り過ぎていくことだ。そりゃ病院なんだもん、当たり前よね。酷く、その光景が、目の前なのに遠かった。

 救急救命士の方が一人、部屋から出て、座った私の隣りに立って、話し掛けてくる。
 動揺した家族を宥めるのも仕事の一つなのかな、と思いながら、ゆっくりと会話する。
 意識不明の人の口内の吐瀉物を取り除くときは、指で直接取り除くと、伝染性疾患だった場合は感染の危険があるから、指サックや手袋、せめてタオルなどを使えと言われる。頷く。
 って、まだ意識戻ってない家族が居る人に、そのツッコミは今必要ないのでは、と心の中で突っ込んだりもした……。

 病院内でPHSを使うのを少し躊躇って、その場を離れ、誰かに電話しようと公衆電話を探す。
 TEMの家に掛ける。事情を説明する。
 『覚悟』してる、ってことを、誰かに言って、覚悟を固めたかったんだと思う。
 それと、頼りになりそうな親戚を思い付かなかったのと、まだ、冠婚葬祭いしか会わない親戚に伝えるような容態ではないということに事実を曲げたかったから。
 時々、医師と看護婦の会話が漏れ聞こえてくる処置室前に戻ったとき、TEMからPHSに着信。一度切ってから公衆電話でかけ直す。
 TEMが駆けつけてくれるという。必要な物があったら用意するから、と御家族の方が言って下さる。
 私以外に誰も居ないと何もできないので、ありがたく、来て貰うことにする。

 処置室のドアが開いて医師が出てくる瞬間って、本当、裁きを待つ人のような気持ちだった。
 でも、お医者さんの口が開く前に、母のうめき声が聞こえたから、ほっと肩の力が抜ける。
 意識は戻ったらしい。大量輸液で落ち着けさせた様子。意味のある言葉を喋っているのに、安心する。

 とか思った横を通って救命士のおじさんが室内に入り、
「あのー、じゃぁ、この吸入器、持って帰って言いですか? これ、うちのなんです」
 看護婦さんが病院の物と取り替えると、外した吸入器を持って、意識戻って良かったね、と声を掛け笑顔で去るおじさん。ってその為に立ち話して待ってたんか、あんた!!(^^;
 その後、病室に移される。
 歳をとった女性ばかり入っている部屋だった。突然、近くのベッドの女性が、
「たすけて〜痛い〜」
と叫び出す。
 が、看護婦さんも他の患者さんも、誰も反応しない。
 ……ので、私も反応しない。ちょっと怖かった。でもその時は母のことで頭がいっぱいだったのだ。

 今日、ちゃんとした食事を摂っていないことを思い出して、枕元の椅子に座って、食欲なんて無いけど、パンを出して食べる。これを腹に入れれば、私の体力を消耗させずにすむのだ、と言い聞かせて。

 到着したTEMに後を任せ、入院準備のためにタクシーで一度家に戻る。藪蚊がいっぱい家の中に侵入していた。あああ、ドア開け放してたからなぁ
 スリッパやらバスタオルやら寝間着やらその他色々掻き集めて持ち出す。

 病院に戻ると母の意識は大夫と回復している。でも熱がまだ高く、せん妄状態に近い。
「お母様、私が解る、私よ!」
と声を掛けたら、
「はい……だいぶ楽になりました……」
 私を看護婦さんと間違っている。それでいて、
「娘は、まだおりますか?」
 と浮かされたように呟く。
 私の事だけ忘れたんじゃないか、なんて、非常識な発想が出たのは、小説の読み過ぎかしら。
 しかし、問題なのは、その次に、
「てんぷる(うちのお母様はTEMをペンネームで呼ぶのだ……なんだかなぁ)はどこ? もう帰った……?」
 って、お母様、いきなりTEMを探すかい!! 私の事は解らないのに!(^^;

 私を私だと認識したのは大分後でした。おいおい。

 そのまま病院に泊まり込む。付添不要だけど、泊まっていくようにすすめられたって事は、様態の急変も有り得るという事。
 明日も又来てくれるというTEMに礼を言って帰って貰い、母のベッドの横に置かれた担架で仮眠を摂るが、一晩中、
「たすけて〜誰か来て〜いたい〜」
という叫び声が近くの床から聞こえてきて、なんだかなぁ、だった。


9/30
 昨日、私が見付けたときには母の意識レベルは200あるかどうかだったのだけど、もうすっかりクリヤー同然になっている。
 昨晩も何事もなかったし、ほっとして、一度家に戻って風呂に入り、2時間ほど仮眠を摂ってその間に洗濯機と乾燥機を回し、また病院に戻る。
 寝室に昨日の夕刊が落ちているのを見て、母が少なくとも夕刊が配達される時間までは元気に歩き回って外にも出ていたことを知る。意識不明の状態は長くなかったことの裏付けで、気付いた時、とても嬉しかった。

 したらば、母の名札が消え、ベッドに別の人が入っている。
 軽い寒気を覚えながらナースステーションに聞きに行く。病室を移ったという事。ほっとする。
 タイトルを忘れてしまったのだけど、昔の海外の推理小説でパリ万博を舞台にした作品があって、夫が具合の悪い妻をホテルに残して博覧会を見物し、戻ってきてみると妻は消え、それどころか妻がこの国に存在していた痕跡すらも全て消え去り、誰も妻を見たものはいないという……というストーリーのもので、それを思い出してドキドキしてしまったあたりが、私らしいなぁ。
(この小説の真相は何だと思う? とTEMに聞いたら、「万博のアトラクションで、どっきりカメラ」と答えが返ってきて、どうしてこの人の推理力は常に真実を射ながらもどこか面白く曲がってるんだろう……と思った……)

 今日も泊まることを看護婦さんに勧められる。
 まだ、倒れたのは何が原因か、ハッキリ解っていない。インシュリンコントロールのミスというには、何か他の要因があるような気がしてならない。

 プライドが高く、「ボケるくらいならさっさと死にたい」と公言していた母が、娘に下の世話をさせているなんて、本当に信じられない状況である。けど、互いにそれを言って笑い合う余裕があるのがまだ嬉しい。


10/01
 昨晩も何事もなく、一晩中叫び続けるおばあさんが居ない病室なので快適だったのだけど、朝から急に母が発熱する。
 見る間に42度近くまで上がり、意識レベルが低下する様は、現実感がどこか薄かった。
 SPO2の値がみるみる下がっていくので、慌てて酸素マスクを使わせる。
 日本語で話し掛けても、うにゃうにゃ訳の解らない言葉とちゃんとした言葉とを交えて返すから、言語機能がおかしくなったのか!と慌てた……んだけど、単に、偶に、外国語で返答して居たらしい。
 うちの母は中国語(北京語)と台湾語と日本語がネイティブで、あと、何カ国語かかじっているらしい(娘の私は英語すら満足に出来ないってのにねー)。意識レベルが低下して、無意識状態では、うちの母は、時々、北京語でも思考しているらしい……。看護婦さんに事情を説明したら、不思議な物を見るような目をしていた。私も不思議だった。

 筋肉注射で熱が下がったので、夕方に帰宅。今日は自宅で寝られる。
 ので日記を書いていたりする。発表するかどうかは解らないけれど。
 蚊取り線香を沢山焚いてから風呂に入った。


10/2
 朝、母の病室に行くと、寝間着が変わっている。昨晩、気付かない内に熱が上がって嘔吐したらしい。本人は気付かずに寝ていたそうだ。私がいない時にそう言うことがあると、今度は無事だったとはいえ、ぞっとする。

 入院手続き、やっと完了。自分の貯金から病院への預り金を出せてほっとする。
 酸素吸入器をどうにか今日外せたらしい。良かった。
 今日、父が帰国した。旅行者を使って出掛けていたのではないので、連絡が取れなかったのだけど、帰宅してすぐに病院に向かってくれて、ほっとする。これで肩の荷が半分降りました。


 なんか頑張ったね、私。ここ数日。
 でもまだ楽観視は出来ない。あちこち体にガタがきているみたいだから、母。
 熱の後遺症も心配。

 人間、体が資本だな、としみじみ思いました。


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