「待ってろよ、ワードナ」  重い石の扉をぴたぴたと叩き、舌なめずりしてガトが言った。いやらしい口調だ。怖くてたまらないくせに。私はお前が大嫌いだったわ。心の中、過去形で呟いてみる。かすかな満足感めいた物が湧いて、私はちょっと嬉しくなった。  でも、微笑みはしない。  ワードナの玄室。 「扉の前で、いったい何組のパーティが、こんな風に躊躇したんだろう。いったい何組が、二度とこの扉を出なかったんだろうな」  そうスカが言うのに、こっそりと、心の中で考える。前にもそんな事を思ったわ。 「やっとここまで来たな」  エルクが私の方を見て言った。そうね、とすげなく答える。もう機嫌を取る必要は無い。無いのだ。 「カーシャ?」  心配そうなエルクの声を無視していると、他の四人が卑猥なからかいを投げてきた。  みんな、怖いんだわ。他人を傷つけることでもしなきゃ、気を紛らわせられないのね。エルクも、自分の女を心配する振りでもしなきゃ、怖くてやってられないのだ。 「準備は良いんでしょう? 入りましょう」  早く済ませてしまいたくなって、そう言った。 「偉そうな口聞いてるんじゃないよ、ただの魔法使いのくせに」  すぐ叩き付けるような口調で私を睨んだのは、司教のエリーゼだ。……鑑定ミスばっかりしてるくせに。指摘したことはないけど。 「しっかり援護しろよ、俺様達のために」  脳味噌無しの戦士が偉そうな口を利くのね、ジュドー。  私はさも従順で臆病そうに、何度も頷いてみせた。 「これで、臭い迷宮に潜るのも最後になるんだな」 「ワードナを倒せば、王から報酬は思いのままだってんだからな」  その言葉に皮肉めいたものを思いつつ黙っていると、スカが注意深く扉を押し始めた。  音を立てて、石の扉が開いていく。冷気が流れ出してくる。  私は、復讐の……終わりの始まりを感じていた。  あんたたちは、私の兄を殺した奴ら。だまし討ちにした奴ら。  戒律が違う私が、あえて悪のパーティに加わった理由……復讐のためだと知ったら、どんな顔をするかしら。今までこんなにそばに危険な敵が居たことに、身震いくらいするかしら。  無理矢理体を犯されて従順になった女だと、だから言うことを何でも聞くのだと、そう思っているのでしょう。  ……さぁ、復讐の始まりよ。 私以外の全員が、目を疑っていた。伝わってくる驚きの空気が快感だった。  それはそうだろう。玄室の扉を開き、現れた影の中に……ワードナが居なかったんだから! 「どういうことだ!?」 「まさか、ここがダミーの玄室って事はあるまいっ……」  前衛三人の声が飛び交う中、モンスター達は容赦なく襲ってきた。  最下層に降りる事自体まだ数度目に過ぎないパーティにとって、まだまだ大きい脅威である不死族達。  先制攻撃で、戦士のジュドーが麻痺させられた。エナジードレインのおまけ付きだ。  最初から解っていた。このパーティがワードナに勝てる可能性は、現時点で五分五分といった所だろう。  そして、私が魔法使いとしての動きを何もとらなければ、結果は……確実に、全滅。 「ちょっとカーシャ、あんた何してるのよッ?」  怒号が飛んできても私は気にせずに、のんびりと周りを見ていた。やはりここは、前に見たトレボー王の謁見の間に似ている……。ワードナはトレボーの影だという戯れ歌が、欠片でも真実の重みを持つことがあるなんて、大抵の人は思いもすまい。  ほの暗い水底のような空気。蒼みがかって見える、魔法の明かり。  離れた所に見える地底の王座は、あの時と違って、空だった。 「いやーッ!」  エリーゼが倒れた。これで、万が一にも、こいつらが無事に迷宮を脱出する可能性はなくなった。仲間達の悲鳴を心地良く聞き流し、私は復讐が完成していくのを感じていた。  私も戦闘に参加させようと出来る余裕なんて、誰一人として持っていない。こんな未熟な連中に兄が殺されてしまったのは、ただ、だまし討ちだったからに過ぎないわ。 「避けろカーシャ!」  その声に反応して前を見れば、不死族の王の、燐光を発する瞳。  身構えようとした時、誰かが間に飛び込んできた。エルクだった。 「逃げ、」  そこまで言って、不自然な姿勢のまま床に落ちるエルク。  彼が私をかばった事を理解したのは、数瞬の後だった。  馬鹿が自滅したと考えつつも、私は不可解な気持ちを背筋に感じていた。  絶対的な力の前で己の力の未熟さを思い知らされると、戒律なんて関係無しに、人は脆さを見せるのね、と私は周囲に倒れた連中の躰を見回して思った。絶望の表情は、それなりに、あわれだった。私はそんな感傷、まったくしなかったけど。  彼らはそれなりに強かった、不死族の王にそれなりの打撃を与え、お付きの雑魚を全て倒し……でも、そこまでで、力つき倒れた。  麻痺した連中をなぶるのに飽きたらしく、不死族の王の美しい顔が私一人を見すえる。  私を眷属に引き入れようというのか。光栄なことね、と、つまらないことを考えながらその瞳を見返す。冷気をたなびかせながら青白い手が伸びてくる。 「己の属せし闇の世界へと還れ!」  驚いたように王がすくみ、私は勢いを得て、一年振りに唱える祈りの誓句を口に乗せた。 「偉大なる神の力もて、そなたらを現世に止めし邪を消さんとす!」  『解呪』はすぐに威力を現した。  さらさらと崩れゆく、かつて強大な王だった物の灰を浴びながら、私は復讐の終わりを思った。 「お兄さま、仇はとりました」  静かになった部屋で、そう呟いた途端、涙が出た。  結界も張らずに私は立ち尽くしている。  長かった。  司教の身を魔法使いと偽り、悪の戒律のパーティに身を投じて一年。信用されるために、男の一人には身を任せもした。愚鈍なふりもした。従順に言うことを聞く魔法使いとだけみなされるまで、マスターレベルにも達さない連中相手に、ただ耐えた。  かつて『魔除け』を手に入れたこの私が! 可笑しくなって、俯いた。  転がる躰が目に入る。繰り返されたエナジードレインの果てにロストしたのが二人、死んだのが二人。麻痺したままのが一人。回復させても、ドレインを喰らいすぎていて、冒険者としては生きていけない体になっているだろう。  だが、思いついて、『ディアルコ』を唱える。  体の自由を取り戻した男に、冷たい視線を下す。  ゆっかりと考えてから、言葉を発した。 「どんな気持ち? エルク」 「お前、司教だったのか……」 「そう。気付かなかったでしょう」  ゆっくりとエルクは半身を起こしたが、私は何の行動も起こさなかった。あれだけのエナジードレインを受ければ、もうあれほど恐れられた人切り侍などではなく、ただの男に過ぎない。無傷とはいかないが、先程の戦闘で大きな怪我をしていない私の方が、力は上だ。 「麻痺してたが、どこかで聞こえてた。お前が、バンパイアロードを解呪する力がある司祭かよ。復讐だってな」  どう答えるべきか解らず、私は黙っていた。 「心当たりが山と有るのが自慢でもあったんだがな」 「私の兄様に毒を盛って、だまし討ちにしたのよ、あんた達は」  「……ああ、それなら解るぜ……」  辛そうに息をしながら答えた様子に、我を忘れて兄の死んだときの様子を追求したくなって、私は自分を必死で律した。 「仲間全員置いて、一人でどうする気だ? お前も死ぬのか? ああ、そうか、司教だってんなら……」 「ええ、装備なんか惜しくないわ。蓄えはないけど、街に戻ったら、堕ちた身を売りでもして、生きていくつもり」 「お前は俺の女だから、春なんて売らせない」 「そんな口が利ける立場?」  エルクは、喉の奥で笑っていた。痰のからむような、くぐもった音で、躰に受けたダメージの酷さが解った。  苦しそうな声に、胸の奥が反応してしまう。本当は少しだけ好きだった。偶に見せる優しさを、嫌えなかった男。 「見捨てて行く前に、一つだけ教えてくれよ。気になって成仏できねぇ。なんで、ワードナはここにいなかったんだ?」 「かつて私がワードナを倒して、称号を得たからよ」  激しくエルクは反応した。衝動的に動かした体に激痛が走ったらしく、また床に崩れおる。 「兄様と私は、かつて、ここでワードナを倒した。魔除けを手に入れ、無事帰還した。けど、魔物たちは消えなかったの。トレボー王は私達に恩賞をよこしたけど、ワードナが倒れたという触れは出さなかった。私達が為したこと、秘密にされてた。それで、噂が本当だって知った」  ワードナを倒したパーティは何組もいる。だが、ワードナはすぐに復活する。この迷宮は消えはせず、ただ冒険者達を飲み込んで行くのみ…… 「私と兄様は、パーティとも家族とも別れて、遠い土地へ旅立つことにした。今までワードナを倒したパーティの噂ばかりが聞こえて消息の知れないのは、王がパーティの口を封じているからだと考えたから。その用意をしている最中に、兄様は殺された」 「手練れだとは思ったが、『ワードナ殺し』ほどとは、俺達、気付かなかったさ……お前の兄貴だったんだな」 「兄様は本当にお人好しだったから、あんた達に騙されたのね」 「そうだよ」  彼がまるで旧友を懐かしむような微笑みを見せるのに、訳の分からない不安と怒りを覚えた。  迷宮の奥深くで、復讐を遂げた相手と声を落として会話している状況に、私はさっきから不思議を覚えていた。今まで、隙を見せる度に、戒律で許されているものならば剣で突き刺してやりたかったのを思い出す。何度それを諦めねばならなかったことか。  こいつら全員をただの死よりも過酷なところへ送ってやる、そう決めていなかったなら。 「この脱力感、お前の復讐は完璧だよ。だが、失う物が多すぎやしなかったか」 「もう家族はみんなバラバラになってしまったわ。私も、昔の仲間も、トレボー王に追われる身だし、失う物はみんな復讐のために使ったの。だから満足よ」 「ご苦労なこった」  そこまで言って、エルクは瞼を閉じた。  近づいて、そっと彼の頬に触れてみた。生気はある。極度の疲労で、眠りにおちいってしまったのだ。  私は背を向けて歩き出した。何もしなくても、後は魔物たちが片付けてくれる。  かつて兄たちと使った、街への転送円に私は向かった。長い間、道の解らない振りをするのも大変だったのよ、と、未熟だが兄を殺すことの出来た連中との探索行を思い出して、冷笑を浮かべる。  三歩めまでは平気だった。  四歩目から、辛くなった。  引き返したのは、そのブロックを出てもいない、十歩目くらいだった。  エルクはまだ倒れたままでいた。  そっと頭を膝に抱き起こす。 「情に流されたんじゃないわ、そんな体になったあんたを街に連れ帰るのも復讐だって、気付いたからよ」  いつの間にか、また涙が溢れ始めていた。 「そうよ、これも復讐。宵越しの銭を持たないあんたが身一つで街に戻っても、どうやって生きていくっていうの?」  彼の体の温かみが私に涙を流させているのだ、などとは認めたくなかった。  血と肉の飛び散った床で、違う戒律の男を抱きしめて、私は泣き笑いを浮かべていた。  もうこれ以上不幸になるわけがない、そう思っていても、迷宮は、更なる不幸をくれるのね。  闇の向こうから、嫌な地響きが伝わってきていた。巨人族に違いない。  魔法の明かりに、魔物の姿が見えた瞬間、私は呪文を呟いた。 「『ロクトフェイト』!」                         終