金緑玉・2話
その姿にレゼッタは絶望した。
(俺に癒しの力が有れば……!!)
精霊魔法を操る事の出来るレゼッタだったが、癒しの魔法は彼には永遠に使えないものであった。『知られざる』といわれる生命の精霊には女性しか接触で
きないのだ。そして、神の力を借りる神聖魔法の癒しは彼には使えない。
「ルーク……」
「そうだ、俺だ。ここにいる」
か細く彼の姓を呼ぶ姿に、レゼッタは思い切りその体を揺さぶりたい衝動を抑えて、そっと顔を両手で挟んだ。そこが一番皮膚が残っている場所で、また感覚の残っているであろう場所だった。
スカルピアの体の動きが僅かだけおとなしくなる。しかし、直に又不規則に痙攣が始まりレゼッタの手も外れた。
「頑張れ、もうすぐ助けが来るから」
声に焦りが滲む。嘘だった。助けなど、来るとしても遠い先だ。レゼッタは正義を司どるが故に虚偽を嫌う至高神を信仰していたが、この嘘は躊躇う事無しに出た。
「……レゼッタ……」
突如、スカルピアは笑んだ。血塗れの、凄慘なその姿だというのに、とても優しく感じられる笑み。
レゼッタの背筋に何かぞくりとするものが走る。
スカルピアの笑みは唐突に去って行った。彼は先程の何倍も苦しそうに、狂暴なほどに体を跳ね回らせる。レゼッタは苦痛を与えないように押さえようと苦心する。
突然スカルピアの瞼が見開かれ、痙攣が止まった。
「殺せ!……とどめを……っ」
迷いに迷った。果たして正しい行為であり得るのだろうか。
レゼッタは腰の短剣を抜いた。抜いてから、それ以上動かない腕を感じた。
「早く……」
哀願だった。最後の逡巡を友の為に断ち、レゼッタはその銀の短剣をスカルピアの胸に突き立てた。手慣れた感触である筈のそれは、この時ばかりは奇妙に手に残った。鈍い音を発て食い込んだ剣を直様引き抜き、もう一度突き立てた。一撃だけでは、確実に彼に死をもたらす事が出来るか判らなかったからだ。
剣の突き立てられた部分から新たに流れ出す血は弱々しく、止まった痙攣と共に確実な死の訪れを表していた。礼を言いたそうにその顔が微笑みを浮かべた。
彼の身体と精神を司どっていた精霊達の力が弱まり、そのまま儚く消えようとしている。確実に生命の火が消えていくのが判る。レゼッタが、笑みを浮かべた彼の頭を抱こうとした時、
突然の悲鳴が樹海の空気を切り裂いた。
レゼッタはその叫びを引き起こしたのは自分だと、瞬間、悟った。
「隊長……副長を、殺して……!!」
言葉を理解するより早く、スカルピアの身体に突き立った剣に手を残したまま、必死でレゼッタは振り向いた。
驚愕に顔を引き攣らせ、立ち竦む、傷だらけの鎧を付けた一人の部下の姿がそこにあった。
(生きていたのか!!)
レゼッタは目を見開いた。自分が死を見届けた訳では確かに無かったが、まさか、という思いで彼を見る。これが初の実戦だった、騎士叙勲を受けたばかりの部下。最初の方に倒れたのが幸運だったのか不運だったのかと、そう先程思い出していた男。意外にも、血塗れではあったが、レゼッタに比べれば傷はそう酷くもない様子だ。
「アルトファーゼ」と、そう名を呼ぼうとしたレゼッタの目の前で、立ちすくむ彼の表情が変異していった。驚愕から…剥き出しの恐怖へと。そして後ろへくるりと体を振り向けた。走り出す。
この幸運な生き残りは、敵と戦い惨敗した恐怖がさめやらぬうち、仲間が仲間を殺す様を見てしまったのだ。レゼッタが剣を突き立てた理由を知る由も無い男は彼を恐れ、再び魔物という敵の潜む樹海に相対した。
「戻れ! アルトファーゼ!! 一人じゃ危ない!!」
レゼッタの言葉は直様証明された。森の中から二つの影が姿を見せたのだ。スカルピアを見付けた時に上げた声が、『奴ら』を近くに呼び込んだに違いない。近くの村人などであるはずが無かった。腕を、胸を、腹を、なにより口の周りを血に汚しているのだから。
正気を保っていないアルトファーゼは『奴ら』が目に入っているのかいないのか、足を止めない。傷で疼く足を無理に立たせ、レゼッタは彼の前に走り出て『奴ら』を全力で切り倒した。二匹とも呻き声ひとつ無く地に横たわる。
それが逆効果であったと悟ったのは次の刹那だった。
アルトファーゼの目から見て、彼は三人の人間を殺してしまったのだ。
立ちすくんでレゼッタを見つめるアルトファーゼの瞳が、絶望の色に染まっていた。
「落ち着け、あれは人間じゃない! お前を殺しはしない! 奥に行って如何する! スカルピアは、あのままじゃ苦しむだけだったんだ、だから止めを差したんだ!」
咄嗟で言葉が見付からない。状況の説明が出来ない。焦りと恐怖がレゼッタに襲い来る。
アルトファーゼは木々にぶつかりながら直進しようとしていく。
レゼッタがスカルピアを殺したという、あまりにそこだけを取り出しすぎた事実に、彼が狂気の種を植え付けられたのは確実だった。
喉が痛む。声が擦れていくのが判る。こみ上げた血が絡まって呼吸すらも苦しい。彼を止める術無く、そしてすでに限界に達していた体に、レゼッタはその場に膝を付きかけた。
「………隊長…! ルーク隊長、生きておられますか……!?」
遥か遠くで、自分を呼んでいる声がする。次第に近付いてくるそれは、彼の知っている者の声だった。