金緑玉・5話



 門の入ったすぐ横に有る受け付けで待機していた女性はそっと頷いて、庭の奥に有る館を手で指し示した。レゼッタが会釈して歩き出すのを見て、慌ててゼーヤも軽く頭を下げて後を追う。勝手知ったる様子で進むレゼッタの後を、ゼーヤは興味と驚きを隠せずに辺りを見回しつつ付き従う。
 中に入って気が付いた。ここは外見だけでもその大きさが伺えるが、いやはや、なんという大城だろう。柔らかな羽毛の優しそうな水鳥が漂う水面、木々より逃れた陽光が鮮明にそこに反射する。美しく、慣れぬ庭の光景に、ゼーヤは感嘆の息を洩らした。
「…ねえ、ねえレゼッタさん、ここ何?」
「ああ、知らないか。施療院だ」
 施療院…マーファ神殿とかが開いてるやつだよね、と考えてゼーヤは疑問を口にする。
「どこの神殿の? 聞いた事無いや。あたし、ここってどこかのお屋敷だと思ってたけど、違うの?」
「ああ、一般の人間は知らなくて当然だろう、ここは普通の施療院じゃないからな」
「…ふうん」
 なにか含まれた意味の有るらしい様子に気を惹かれながらも、ゼーヤはおとなしく口を閉じた。
 扉に付けられた青銅製のノッカーを鳴らすと直に、中から扉が開かれる。老人に携えている武器を出す様に言われ、手渡し預けた。
 中はそう明るくも暗くもない、そして廊下は奥へ奥へと続いている。
 空気に微かに混じる建物特有の匂いに少し息を止めて、気付いた。首の後ろがちりちりとするような不快感がある。なにか落ち着かないような、なかなか静まらない不安を、ここの空気が引き起こした様な感じだ。
 ゼーヤのはっきりと顔に出た緊張に気付き、レゼッタは奥を見ながら呟いた。
「判るだろう」
「…うん」
 怪物や罠の潜む古代遺跡に足を踏み入れた時の緊張感を、ゼーヤは体験していた。
 かつんかつん、と石の床が歩を進めるのに応じて鳴り、辺りに軽く響く。廊下に居並ぶドアはどれもやけに重々しい閂でぴったりと閉じられており、蓋の付いた覗き窓には掛け金が止めてある。そのドアの向こうから不快感が襲ってくるのだと、ゼーヤは気付いた。澱んだ空気が漂い来る様な、腐泥や汚汁が渦巻き襲う様な、汚らしい感覚。既に感触ですら有るこれは、おそらく精霊力の大きな『乱れ』だ。
「レゼッタさん、一体ここに何が有るの?」
 気味の悪さにゼーヤがそう問うた時、二人の前方から人の気配がした。精霊使いは精霊力によってそういった事を察する事が出来る。動物が匂いで物を認識するのに近いかも知れない。二人は、思わず軽く息を詰める。
 思わず知らず足を弛めたその横を、奥から進み来た人間はゆっくりと通り過ぎて行った。虚ろな双眸の男と、彼の肩を抱くようにして導く中年の女性の二人だ。
 ゼーヤが膝を折ったのは、彼等が通り過ぎ、遠ざかる足音が消えたその途端だった。
 慌ててレゼッタはその腕を支える。震える少女の瞳には涙が滲み、手の平で押さえた口からは小さな呻きが漏れている。彼女の驚愕と動揺に歪んだ表情が、レゼッタを慌てさせた。
「大丈夫か!?」
 瞳の焦点がずれ、蜷局を巻いた蛇がその様を崩してうねった様に腹の底が煮え繰り返る……それを無理に押さえ込み、味のする唾液を飲み込むと、ゼーヤは 苦い顔のまま答えた。
「ごめ…ん……吐きそうになって……やだ、まだ気持ち悪い、今の人、今の男の人、なんなの…?」
「普通の人間だ、ただ、精神を患っている…」

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