金緑玉・10話


 衛兵が佇むように居並ぶ扉の間に跫音が二人分高らかに響く。赤茶けた煉瓦の上を歩きながら、ゼーヤは先日の胸の悪さを思い起こした。それでも、アルトファーゼの歳に合わないあどけない顔を思い起こすと幾分落ち着く。レゼッタが配慮の表情を向けているのに気付き、慌てて首を振った。
 今日、もし彼の調子が良ければ、彼の心の精霊たちに語り掛けるつもりだった。無理に従わせたり、強制的にバランスを変えるのではなく、ただ語り掛ける。そして、彼を外の美しく広い庭に連れ出して、直接太陽の光を浴びさせるつもりだった。嫌がらないだろうか。喜ぶだろうか。二人とも、その結果を少しだけ期待していたのだ。
 だが、異変だとか変事だとかいったものは、時を選ばずに襲ってくるものなのだ。
 三つ目の廊下に足を踏み入れた時だ。
「しっ………」
 ゼーヤが唇に人差し指を当て、レゼッタと顔を見合せる。二人の聴覚を刺激した微かな物音は、忽ちはっきりとした入口の方から聞こえる乱暴な足音となった。
 それに覆い被さるようにして、女性の悲鳴。先程擦れ違った、この施療院の世話役のものに違いない。
 レゼッタは咄嗟に腰に手をやったが、剣は入口で預けた事を思い出して舌打ちした。
 だかだかと床を踏み鳴らす音が近付く。
「誰だぁぁっ!!」
 残忍さと狂暴さを湛えた目が曲り角から飛び出して、レゼッタとゼーヤの姿に驚愕を向けた時には、既に二人は素手ながら身構えている。男の出現にも、鼓動は少しも乱れない。
 その皮鎧を着込んだ中年の男の手の小剣は、真っ赤な血に濡れていた。
 何かに突き動かされるようにして、レゼッタは瞬時に精霊語の詠唱を開始した。ゆらりと差し上げられた彼の左手が、宙に浮かぶ透明な糸を織るように、残像を残す動きで舞う。
『我が心の戦乙女、勇気を司どりし気高き精霊よ、我が敵は汝が敵! 強き力を、その光輝の槍をくれてやれ!!』
 高らかに響く呪文に、思わず逃げようと後ろを向いた男の背を、鎧の存在を物ともせず、虚空より表れた光の槍は迸しるように貫き駆け抜けた。血と肉片が飛び散る。
「…凄い」
 一撃で男は床に伏し、体を走る苦痛と恐怖に顔を歪ませてもがく。女であるゼーヤにはどうあっても使えない、『戦乙女の槍』の呪文だった。その性別による違いを除いても、彼の技量は確実に己より上だと解る。
 倒れた男をそのままにして、駆け足気味に廊下を入口へ戻る。
 通路をほんの少し戻った所で、悲鳴の主が床に伏せていた。やはりマーファ神殿から通ってきているという女性神官だった。息はまだある。
 ゼーヤが『知られざる』と言われる生命の精霊に助力を乞うと、みるみる女性の傷は塞がり、瞳も力を取り戻した。助かったという放心に彼女の薄く皺の刻まれた顔がほうっと緩んだ。
 レゼッタは彼女を支えて先程の角を曲ると、ゼーヤと二人でそこに倒れたままの男を引き摺り、手近な空き部屋に運び入れた。

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