金緑玉・12話
マーファの神官が奥へと緊張と共に駆け出す。ゼーヤとレゼッタは音を立てずに入口へと走り出した。
一番入口に近い、つまり抜け道から一番遠い患者の部屋の前でレゼッタは止まる。その横をまだ入口へと駆けるゼーヤの、この状況には相応しくないひらひらした普段着に懸念を感じながらも、倒した男から奪った小剣を強く握り締めて、不安を吹き飛ばすように一度強く歯を噛みしめた。
一瞬だけ、アルトファーゼの事が頭をよぎる。
……力を入れ、中の人間を逃がすために扉の鍵棒を横に押し開けた。
ここを曲れば外への扉が見える、最後の曲がり角をゼーヤは最大限の緊張と注意で走り抜けた。人の姿が無い事に思わず安心の息を吐き出す。しかし、番人の老人が神経質な程にいつもすぐ閉めてしまう扉は乱暴に開け放たれたままになっていた。外の庭から自分の姿が見える事に気付いて、慌てて彼女はいつも老人の詰めている部屋に飛び込んだ。
床の血溜まりに足を取られ、滑った。ぎりぎりの所で倒れずに踏み留まる。
喉を切り裂かれて完全に絶命した老人の死体がゼーヤの目に入った。
何の気配もしない訳だ。彼は既に肉塊と化していたのだから。
驚きと悲しみに息が詰まる。次の瞬間強烈な怒りが膨れ上がった。
(なんて、酷い事を……!!)
せめて布でも掛けてやりたかったが、時間が惜しい。心中で黙礼し、庭に面した窓から姿を見られないように死体を跨ぎ越え、奥の棚を調べる。自分とレゼッタがほんの先程預けた剣があった。他には……ない様だ。レゼッタの長剣は重く、又廊下では振り回せないだろうと思ったので諦め、騎士団の章の入った銀の短剣を手にする。ゼーヤ自身にもちょうど良い重さだ。それから自分の革鞘入りのナイフを取る。服に縫い込んでいたナイフは、持てないのでそこに置き去りにする事にした。
そっと窓から覗くと、思ったとうり門の脇に設けられた小さな受付に不審な男たちの姿が見えた。受付の女性の安否に少し心を痛ませ、それでも冷静に周囲を観察する。
ここを占領するのは異常なほど簡単だという事が今更ながらゼーヤに理解出来た。閉じ込め、逃げ出させない為でもある施設であるのだから当然だ。建物の周囲は庭に囲まれ、更に高い塀が囲んでいる。そして入口は一つだけ。しかも通常、受付の横の通用門からしか出入りは出来ない。そこを刺客達は押さえているのだ。すぐ横にある、非情に閉ざされた大門が恨めしくなった。
『姿隠し』の呪文を使おうかとも考えたが、塀を攀じ登るにせよ、気付かれないように門から出るにせよ、途中で必要な精神集中が跡切れてしまう可能性が大だ。その瞬間、最悪の形でゼーヤの姿が現れてしまうに違いない。
ゼーヤの黙思を物音が打ち破った。左手を宙に浮かせて緊張を入口に向けたが、中に彼女が居る事に気付かないのか、足音は扉の前を通り過ぎ奥へと駆けて行った。
新手だ。
中に侵入して行く。見過ごして良いの? でも今音をたてて追っても良いの?……レゼッタが居る、多分、大丈夫だ…うまく行けば、挟みうちじゃない……
そう信じる事にした。痛いほど張っていた緊張を、少しだけ緩ませた。
考えてから、ゼーヤはベルトに結びつけた鳴らない鈴を外して、出来る限りの小さな声で語り掛け始めた。
『出ておいで、風の乙女。ここはお前が楽しく遊ぶに相応しい所では無いけれども』