幻界人
・1話
棘々しい言葉が投げ掛けられるのには慣れていた。どんな夜会の席でも、必ず幾人かが眉をひそめ、こそこそと掌で唇を隠して囁き合う。私をこっそりと覗くようにしながら。
もう諦めていた。苦痛でもなかった。
「…………大きい顔をして………」
「成り上がりが…………元は卑しい人夫なのでしょう………」
「その日暮らしをしている、汚らしい小鬼(ゴブリン)の様な者たちだったと…………」
聞かないようにしているつもりなのだが、耳に入ってしまうのは仕方ない事だろう。僅かに彼等の言葉を訂正したい気になって、意識が一瞬そちらへと飛んだ。
「どうかなさったか、男爵?」
目前の男の声が、引き戻してくれた。
「あ、いえ……なんでもありません伯爵」
微笑を浮かべて返した私に、アイス伯爵は目を細めると、黒さを更に増そうとでもするかの様に己の顎髭を撫で付け、にやりと笑った。そして、響きわたる程では無いが、少なくとも周囲にはみな聞こえる大きさの声で口を開く。
「私の耳にも届いてくる。気にする事はない、口さがないお喋り虫はこういった席には必ず居るものだ。能も才も無い貴族は、それしかする事が無いのだから」
相変わらずの毒舌に、私は僅かに目を丸くした。
ざわつきの気配がした。どうやらこちらの会話に聞き耳立てていたらしい。それまで固まって中傷を並べていた連中が憤慨の表情を見せ、しかし伯爵の堂々とした態度が怖いのか、てんでに人々の間を縫い、散って行った。
周囲が落ち着いた頃、伯爵が片目を瞑って見せた。
やれやれ、と私は思う。好意でしてくれた事なのだろうが、それは今後を変えるものではない。だが、彼が味方してくれた事に、少し癒された気持ちになるのも確かだった。
しかしあの連中ーーに限らないがーー不思議だ。いつまで私の噂話をしているのだろう? 私が妻の父、つまり義父より男爵位を受け継いでから既に十八年もの歳月が過ぎている。十八年経っても同じ中傷とは、成長のない…………
それだけあの事件が印象的だったという事か。
………もう少しだ。息子に家督と爵位を継ぐ日は。妻の生んだ子に、妻の、そうセントール男爵家の血を確として引く者に、男爵家を委ねるまで。ーー返すまで。
「男爵、今日は面白い話は聞かせて頂けないのかね?」
少しそわそわとして尋ねる伯爵の様子に、私は、ふふ、と笑いを洩らした。
「伯爵は、こんな私などのつまらない話を気に入って、不思議な方ですね。ああ、そうですね、この話はしたでしょうか? これは、まだドゥスが仲間に加わっていなかった頃の話です」
名前を紡いだ途端に思い出されるのは、あの、何か顔の奥に隠しているような不思議な、独特の微笑だ。ドゥス。エルフの娘。線の様に細くなる瞳は、普段はつぶらに大きく開かれて、夏を謳歌する樹木の葉の鮮やかさを見せつける。彼女を美しいと思わない者がどこに居ただろう。小柄で、華奢で、森の妖精族の素晴らしい特徴を全て身に現していた。私の『人間臭さ』が面白いと言って、子供の様な表情で話をせがんだ。
けれど、その横に所在なげに立ち、私の話に頬を紅潮させて聞き入るクシュカも、エルフのドゥスに負けない程細く、抱きしめれば折れそうな儚さでいた事を思い出す。屋敷をこっそり抜け出て来た興奮の為か、それともの私を見つめる瞳の甘い揺らめきが、本当にドゥスの言うとうりの理由だったのか、もう分からないが、頬を赤く染め一心に私の話に聞き入る様子はいつも真摯だった。貴族特有の高慢さと言うものをかけらも持っておらぬ彼女は、人を疑うところを知らない素直さで、私の冗談をいつも真に受けては……