幻界人・2話

「卿、何か今、ひどく遠い目をされていたぞ」
「いや……少し思い出しまして。妻も、そしてドゥスも、私のこの話を気に入っていたのです。特に良くせがまれたものですよ。そんなことを……」
「すまない、亡くなられた奥方の事に触れてしまったのだな」
 アイス男爵は焦ったような大仰な反応を見せ、私を感傷から振り払ってくれた。彼は大変な愛妻家で、子煩悩だという噂だ。それを表に出さない気遣いを、妻を早くに亡くした私の前ではいつも見せてくれている。本当に心の善良な人物だと思う。希有な友人だ。
 最近彼が、私から冒険者時代の話を聞き出していくのは、子供に聞かせる為らしい。だったら、少し笑話的な味付けで語ってみようか、と思いつく。クシュカの好んだ英雄譚とも、ドゥスの好んだ詳細な回想とも違わせて。そう、それが良いだろう。感傷的にならない為にも。
「私が、ギィとセーラと三人で旅をしていた頃の話です。冒険者の店というのがあるという話は致しましたね。そこで、ある洞窟の噂を聞いたのですよ。古代王国期の遺跡だと言う話でした。そこを、店の主人が、勧めるのですよ。宝は盗り尽くされていないし、そんなに恐ろしい怪物も住み着いていないらしいぞ、とね。いつも冒険の火種を捜していた我々は、喜んでそこの探索に向かいました。しかし、それが問題だったのですよ。まさか、主人に、何か隠していることがあるだなんて、思いもしなかったのですからね。
 いえ、決して、主人が悪人だったという訳ではありません。その洞窟の入口を見付けたところの話から始めないといけませんね。それはですね……」
 興味と好奇心に目を輝かせ、やがて話に没頭していく伯爵の姿は、失礼ながら、仕事を終えて帰宅する前に酒場に寄った市井の商人と何等変わるところがない。昔と何も変わらない、という錯覚がよぎる。冒険の旅に身を置いていた頃、土地土地の酒場でしたたか酔っては、物語を紡いでいた。自分たちの物語を語るのが、一番の娯楽だった。
 伯爵に感謝の気持ちが湧いてきた。毎日が血の沸騰するような興奮に溢れていたあの頃を思い出すのは、久しかった。ドゥスとクシュカの面影が、胸裏に澱となって深く沈んでさえ居なければ、私はこの晩、声を上げて笑いさえしたかもしれない。


 屋敷に帰ったのは、夜も半ばをとうに過ぎていた。御者に労いの言葉を掛け、自分の部屋に戻る。起きて待っていた女中頭のタリアが、寝着を持ってきてくれた。
「先に休んで構わないと言ったのに」
 タリアは先代の男爵の時から、セントール家に奉公している。もう五十にはなるはずだ。彼女の体をおもんばかって、私は言った。
「いえ平気でございますから。旦那様、お寝み前にワインでもお持ち致しましょうか」
「いや、いいよ」
 寝着のサッシュベルトを結ぶ横で、タリアが外出着を箪笥にしまう。
 どうも彼女が何か言いたそうな顔をしている。
「タリア、何かあったのでは無いのかね」
 小さい声で否定したタリアだったが、すぐに困ったように口を開く。
「その…坊ちゃまの事で……」
 言いにくそうに語尾を濁す。またか。私は少し陰欝な心地になった。
「ジョスランが今度は、何をしたのだね」
「プレトリー様の御子息と、侍従に、怪我を」
「どうしてだ」
「何か、侮辱された、と坊ちゃまはいってらっしゃいますが、内容までは……。とにかく先方が、すっかりお怒りになられて」
 ジョスランが騒ぎを起こしたのはこれで何度目か。私は僅かに、苦虫を噛みしめる表情になった。
「でも、坊ちゃまが悪いのでは無いと私は思うのですが」
 俯き、悲しそうに呟くタリア。
 私はその横を早足で通り過ぎ、部屋の扉に向かった。
「旦那様?」
 後ろでタリアの驚いたような声が響く。構わずに、扉のノブに手を掛けた。
 扉の向こうに気配を感じたのだ。
 カチャリという金属音でやっと気付いたらしく、板の向こうで慌ただしい足音が廊下の奥へと響いた。私は落ち着いて扉を開き廊下に出る。
 姿を確かめもせず、私は息子の名前を呼んだ。
「ジョスラン!」
 角を曲がるところだった人影が動きを止めた。続けて私は声を投げる。
「ジョスラン。話があるのならノックをすれば良い。立ち聞きの様な真似はするな」
 ジョスランは黙って立ち止まったままだ。
「タリアに聞いたが、友人に怪我をさせたそうだな。理由は何だ?」
「何でもない……ちょっとしたことさ」
 少し高い、私には余り似ていない声が返された。
「こちらを向け、目を見て話をしろ、ジョスラン」
 ゆっくりとジョスランが体を振り向いた。


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