幻界人
・4話
………………………気が付くと丘の上に立っていた。眼下には丘に続き草原が秋の表情を見せ始めて広がり、その向こうに物凄く大きな屋敷が建っている。もっと向こうには、風に揺れる麦の穂からして、畑が並んでいるようだ。剣の鍔より小さく見える人々が行き交う。農夫たちだろう。
何故「俺」はここに立っていたんだっけ、と思い始めた頃、斜め後ろから声を掛けられた。
「何してるの、バート」
「あれ? ああ、ドゥス。ぼうっとしてたんだ」
気配無く近寄るのは、ドゥスの得意技だ。エルフである彼女に相応しいと思って、前にそう言ったら、自分の努力の末の特技を種族なんかと結びつけて納得しないで欲しい、とか言って怒っていた。
涼しげな短い貫頭衣と、鹿の皮を丹念に鞣して仕上げたブーツ。冬は上着を着込むが、ドゥスは年中そんな格好をしている。寒くないのかと思ってじっと見ると、彼女はくすくす笑った。………何だか、ほっとする。
「良い眺めね。森は遠いけれど」
「この土地は飽きた?」
「いえ、まだ。飽きる程、同じ土地に過ごすのは、故郷を離れてから一度も無いわ。それに、あなたがた人間に解らないのは仕方ないけれど、土地は飽きることの出来るような簡単なものではないのよ。ほら、今も表情を変えてる……」
ドゥスが笑顔を浮かべて指差した先を見たが、俺には只の草っ原としか思えなかった。仕方が無い、俺達は世界の見え方さえ、おそらく違っている。別にそれが悲しくはない。当然なのだから。
冒険者、要するに流れ者の俺達が、この村に落ち着いて、もう三ヶ月が経った。近所に出た魔獣の退治、封印の解けた邪神殿の調査と掃討、荒れ地開墾に際しての助言、とこの辺りで仕事をするうち、近隣の村を統治している領主であるセントール男爵に気に入られ、村の空家を提供されたのだ。彼が主都に向かう時の護衛役を任されることになってはいるが、春まで滞在して良いと言ってくれた。そこで、俺達はいつになく充実した休暇を過ごしているという訳だ。村人は魔獣退治のおかげで大変友好的だし、食事もすこぶる旨く、離れがたさがある。……の割には、ギィは、娼館のある最寄りの街へ出掛けて行っていたりするのだが。セーラも、情報収集と所属する盗賊ギルドへの顔見せがと言って、ついて行ってしまっている。
「俺を呼びに来たのか?」
「ええ。バート、お姫様のお忍びよ。行ってあげなきゃ」
「クシュカが?」
………男爵には、とても可憐で綺麗で性格の良い、クシュカという一人娘が居る。悪いが父親には余り似ていない。
「ふふ、顔色が変わった」
ドゥスが口元に手を当てて笑いを洩らしたが、余り意識に入ってこなかった。
「また男爵様に叱られるぜ、彼女。ああ……」
俺は急いで丘を降りた。村の中央に近い俺達の仮住いへと駆けて行けば、玄関の前にポツンと娘の姿が立っている。顔を下に向けていたが、俺が駆け寄るのに気付いて、はにかんだ大人しい笑顔を上げた。
俺は僅かな緊張を押し隠して声を掛けた。
「お嬢様、またいらっしゃったんですか」
途端に彼女は悲しそうに俯く。
「お父上が心配されますよ」
「…………………はい」
蚊の泣くような声。
声も姿も儚くて、俺は彼女が壊れ物の様に時々思えてしまう。乱暴な俺なんかが近くを歩くだけでひびが入ってしまう、薄いガラスで出来た聖女像みたいだ。
困った俺は辺りを見回した。幸い周囲に村人はおらず、好奇の目も無い。だが、どうやってもクシュカはその容姿や上等な仕立ての服で人目を惹く。そしてお屋敷のお嬢様だ、と判ってしまう。どうすればいいのだろうと思った時、やっとドゥスが追い付いてきて、息を吐きながら俺達に声を掛けた。
ドゥスは肩で息をしていたが、エルフの常で顔はそう紅潮しておらず、小さな口をぱくぱくさせるその様子は、奇妙に現実感が無い。こんな時、『違う生き物』という言葉が心をよぎる。見ればクシュカも、ドゥスの様子に目を捕らわれていた。
「バート、速過ぎるわ、もう。……クシュカ、連れてきたわ、バートを。今日はこの間の飛竜の隠れ家の話の続きを聞かなきゃね」
僅かに頬を赤らめ、クシュカが頷く。