幻界人
・6話
「嬉しいのです」
顔を綻ばせるジョスランは、子供らしく、同時に非常に堂々としていて、私の目を奪った。
息子になんらかの不安を抱かせていた事に、その時私は初めて気付いた。もしかすれば気付かぬ内に、赤子の頃と違い個性というものを持ち始めた一人の人間である彼を、わだかまりなく見ることが出来なくなっていたのではないかと。
そんな愚かな私を、息子が切り捨ててくれたのだった。私は息子をそれまで以上に愛した。
息子は非常に良く出来た子供だった。読み書き、数学、武術、馬術、どれをとっても他の貴族の子弟より優れていた。
幸せは続くはずだった。屋敷の者全てが、それを望み、信じていた。ーージョスランの耳にあの事件の事を入れた者を憎む気持ちは私にはない。隠し通せる事でもなく、そのつもりも又無かった。
ただ、ジョスランは、その事実に負ける事はないと、私がそう、思い込んでいただけでーーーー
屋敷の中の者の噂と言うやつで、薄々はジョスランも知っていた様子だった。そして、それでも、ジョスランは私に甘えてきていた。……あれはきっと、氷結した湖の中心へと歩いていくような、危なっかしい綱渡りだったのだろう。なんの拍子でか、それとも必然だったのか、薄氷は踏み割られた。
初めて息子が私に見せた、あの氷の炎の瞳。感情も表情もぐっと押し隠しされ、その奔流が行き場を無くし、息子の体中を灼いていたーーーーーそういえば、あの、心を押し殺した表情はどこかしら母親に似ていて、それも顔の造作や瞳の色が似ているのとは違い、時を越えて彼女が息子の内にいるような錯覚に捕らわれたーーーークシュカがあんな激しい表情をした事など、私が知り得る限り一度も無かったというのに!
現在の私の前に、過去のまだ小さな息子が立っている。
何故か、彼が言おうとしている言葉が解った。
私はそれを止めようと考える。手を伸ばした。唇を塞ごう。少々乱暴でも構わない。息子を引き寄せる。
掌が息子の口を覆い隠す前に、そこから強ばった声が漏れ出した。耳に届く前に、私の心を絶望が襲った。内容は解っている。
「父上、僕は、父上の子ではないのですか…………」
その目には涙が一筋だけ流れていた。
◆ ◆
その報せを聞いた時、俺は耳を疑った。同時に、うっかり幸運神に感謝の祈りを捧げそうになった。丁度、ギィとセーラが街から帰ってきたところだったからだ。あわてて取り消す。冗談じゃない、チャ・ザよ、呪われよ、だ!
俺は部屋の奥で話を聞いていた二人の名を呼んだ。
「ギィ、セーラっ」
「解った、用意は出来てる」
脱ぎかけていた鎧を又着込みつつ俺の方へ歩いてくると、ギィが言った。その影から現れたセーラも無言で頷く。
報せを持ってきたドゥスが、自分の剣と背負い袋を引っ掴むと、俺に鋭い視線を向けた。
「早く、バート!」
そんな事は解っていた。素速く用意を整えると、俺は皆を追い抜かして一番に表に出た。後から、仲間達が続く。
程近いセントール家の屋敷がこんなに遠く思えたのは初めてだった。いつもうるさい召し使い達が、今日ばかりは何も言わずに俺達を通す。何人かが、すがるような目つきをしてきた。
それを無視し、男爵の部屋に駆け込んだ。
頭を垂れた男爵は、俺にはひどく腑甲斐なく見えた。責めるべきではないのは解っていたが。
クシュカが盗賊にさらわれた。
屋敷の庭から、クシュカと、彼女と仲の良かった召し使いの娘が、突然現れた数人の男たちによって強奪された。クシュカの乳母であるタリアが目撃している。すぐ、屋敷に寝起きする二人の私兵が後を追ったが、隠してあった馬を使われ、追い付く事は出来なかったという。
俺の体中を、悪くなった血液が暴れ回っている。クシュカの笑顔ばかりが脳裏に浮かぶ。儚げで、控え目な笑みしか浮かべないクシュカだったが、心に浮かぶクシュカはどうしてだか朗らかに笑っていた。感じたことの無い恐怖が手足の先から染みてきた。それが胸に届く前に追い払う。
「手掛かりは? どちらの方向に?」
「頼む、娘を、助けてくれ……」
男爵の震える声は、怒りに似た激情を俺に呼び、セーラがそんな俺に気付いて、そっと肩を叩いてきた。
「すぐに動こう。馬を借りて、後を追うよ。あたしが足跡を追う」
俺達は男爵を残して部屋を出ると、行動を開始した。