幻界人 ・12話

                ◆        ◆
「バード!」
 ギィの低い声が飛んできた。声を掛けられるまでも無く、自分の失態と危機には気付いている。体を捻りながら避けようとしているところだ。
 大馬鹿をやらかしたが、俺は自分を責めてはいなかった。
 出来る限り相手の剣から逃れようとしながら、悲鳴を確かめたかった、と思っていた。確かにクシュカの声だったのに。
「バードっ!!」
 悲鳴がもう一つ。俺の名を呼んでいる。部屋の入口に立つドゥスだ。
 背中に剣が当たって焼けるような熱さを感じた瞬間も、俺は瞳を閉じなかった。その向こうにクシュカが居るだろう、薄汚れた扉を映していた。
 次の瞬間は、正直、どうなったのか良く解らない。
 おそらく、セーラが男に短剣を投げたのだと思う。俺は二撃目を喰らわずに済んだ。立ち上がっていた男が、再度、今度はもんどりうって、倒れた。
 しかし一撃目は、深刻なダメージを俺に与えていた。動けず俺は倒れ込んだ。体の外へ血が吹き出すというよりも、剣で切られて出来た傷の中で血の流れが暴れ回り、体の中へと染みて流れるようだった。傷みは、あんまり強くて、悲鳴を上げる事も出来なかった。
 ここになって初めて、自分の失態を嘆く気持ちが湧いた。意識が朦朧とする。深手を負っていた奴とはいえ、力任せの剣だった。余程深い傷だ。
 柔らかい物が、床に倒れた俺に被さってきた。暖かい何かが俺の上半身を引き起こす。背骨を走る今まで以上の傷みに、俺は気が遠くなりかけた。
「馬鹿、バード」
 おろおろしているが、強い調子の声が掛けられる。
 両頬を、冷たい手が挟んだ。細い指。ドゥスだった。
 俺の瞳を覗き込んだまま、ドゥスは何事か訴える口調で話し掛けている。何を言っているのか分からなかった。精霊語だ、と気付いた頃、体を何かほの暖かい感触が包むのに気付いた。暖かさは、すうっと俺の体を抜けて去って行った。
 俺は身じろぎした。……傷みが殆ど消えていた。
「よかった、バード…………」
 露骨なまでに安堵を浮かべたドゥスの顔が近くに有る。『癒し』の精霊魔法だった。天に召される直前でも、命のともしびに元の勢いを取り戻させる、強力な呪文だ。
 ぬるりとした感触。魔法で体が癒されても、吹き出した血液はそのままだ。綺麗なドゥスの肌が、俺の血に汚れる。だが彼女は気にした様子も無い。
 涙が無いのがおかしい程の、狼狽えからの回復を表したドゥスの表情。
 細い、筋肉の薄い腕が俺を抱き寄せる。
 俺はそれを振り解いた。
 扉へと向かう。
「バ………」
 背中から聞こえる、ドゥスの傷ついたような声を、敵と切り結ぶギィとセーラの剣の金属音が跡切れさせる。

                ◆        ◆
 いつの間にか使用人たちが集まり、慌てた声を上げているが、私たちを止めようも無く、結果、結構な人数の観客に転じていた。ばたばたとどこかへ走っていく人影が、目の隅に映る。
 そんなものを見ていられる程、私は余裕が出てきたらしい。
 息子の剣には迷いが出ている。剣とかわらぬ勢いで叩き付けられてくる激情が、剣の交差した時に間近に捉らえられる表情など無しにも、ぶつかった剣を通して、手元へと流れ込んでくる様に、はっきり感じられる。
 対して私は冷静になっていく。冷静に剣を捌き、相手の太刀筋を受け流す。勘が大分取り戻されてきていた。
 いつごろからか、息子が心を開かぬ事への苦悩は、かさぶたの様に醜く引き攣れて心の表面に鎧の様に張り付いていた。今、あっさりと剥がれていくのが解る。
 息子の心の内側には、こんなにも熱い奔流があった。それがどういった感情なのか、理解した訳ではない。だが、それに晒されるだけで、私は安堵を覚えた。

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