幻界人 ・14話



 十八年前のあの日、誘拐団から助け出したクシュカをどうやって屋敷に連れ返ったのかは、断片的にしか覚えていない。
 屋敷に戻った私は、時をあけずクシュカと結婚し、即座に男爵位を継いだ。自分の力の有る内に、私とクシュカを正式な男爵夫妻として世間に認知させたかった義父の思惑が有ると思う。私は幸い、その後数ヶ月で、貴族社会に認知された。強い興味と好奇に晒されながらだが。男爵家を守るという使命を、義父は守ることが出来たのだった。
 勿論、仲間とは、別れが来た。ギィとセーラは話していたとうり二人で旅を続けると言って去り、しばらくの間屋敷に滞在していたドゥスは、クシュカが身篭っていることを告げて、やはり旅立った。
 クシュカの精神(こころ)の回復は、ドゥスによるところが大きかったと思う。傍で見守る話し相手として、また精霊使いとしての術(すべ)も使い、クシュカを慰めてくれた。
 九ヶ月と半月が過ぎて、クシュカは男の子を産んだ。月満ちからは、その子の父親が私であるか否かは判らなかった。私には気にならない事だったが。……少なくとも、当時は。
 ジョスランと名付けた赤子が乳離れする頃、眠るような自然さで、クシュカは息を引き取った。衰弱激しく、戻って以降屋敷の外へ一歩も出なかった体は、出産と授乳という大役を果たすと、ゆっくりとその魂を手放した。
 私は神を恨む気持ちにはなれなかった。花が萎れ、氷が溶ける、それを恨んで何になるだろう。クシュカは、そんな風に死んでいったのだ。ジョスランという子を残しているのだから、運命も、憎む訳にはいかない。
 義父も、私が男爵家を完全に把握したことを納得すると、数年の内に亡くなった。最後まで孫の事を気にしていた。
 そしてあれから十八年が過ぎた。


 剣を合わせたあの日以降、私たち親子は、どこが変わったという訳ではないが、飾らぬ態度で顔を合わせられるようになった。
 タリアが何か言ったらしいが、いつからか、ジョスランは就寝前たまに私の部屋で酒を前に話をする様になった。息子が酒をうまいと思って呑める歳になっていたのは、いささか衝撃ではあった。
 ある時、恋について語った。
 クシュカの事を思い出しながら、私は言った。
「守りたい女性が出来たなら、何もかも捨てても、守れよ」
 傾けてかけていた杯を戻して、ジョスランは私の顔を見た。
「うん。すぐ父さんに言うよ」
 不覚にも涙が出そうだったので、私はその晩、息子を部屋から追い出した。


 ドゥスの事を思い出しても、今はもう心が揺れない。私はドゥスに何を求めていたのだろう。逃げか、甘えか。彼女に知られたら、どう思われる事か。きっと、あの宝石の様な瞳が私を見つめ、悲しそうな顔をする。
 あの頃、確かに、私はドゥスにも恋していたのだと思う。ただ、それは、蕾のまま、枝から落ちてしまった。
 死線で、私が見た面影は、クシュカのものだった。
 あの時、彼女の救出を目前にして、ここでは死ねないと思った。朦朧とした意識の下、ドゥスの腕(かいな)に抱(いだ)かれて、私はクシュカの事だけを考えていた。
 そして彼女が死ぬまでの間、愛した。今も愛しているのだろう。母親の容貌をいくらか受け継いだジョスランを見る度、彼女の笑顔を思い出している。
 森妖精のドゥスは、今もきっとどこかで元気にしているのだろう。私の思い出の中のままの姿で。
 幻を見ていたのに似ている。遠い、まほろばの住人との邂逅だから、忘れられないのかもしれない。
 義父が言っていた言葉を思い出した。
「けれど、若い頃と言うのは、みな幻の様な物なのだと、人はいつか知るのだよ」
 ドゥスも知るのだろうか。

13話へ

15話へ


戻る