幻界人 ・15話
ジョスランの十九の誕生日まで一月になった日の事だ。改まった面持ちで部屋を訪れたジョスランが告げたのは、旅に出たいという意外過ぎる決意だった。
しばらく私は返答できなかったが、竜の子は竜という言葉を思い出して、ひとしきり笑ってしまった。
「そうか。まさか、自分の親の気持ちが分かる日が来るとは思っていなかったよ」
「諸国を見聞し、剣の腕を磨いて、セントール男爵家に相応しい人物として、いつか戻ってくる。その時は父さんを散々にやっつけて、そうしたら、この家を継ぐよ」
「後一年もすれば、勝手に、お前の方が強くなると思うんだがな」
「それじゃ僕の気持ちが収まらないさ」
「そうだな」
「父さんみたいな冒険者になるよ」
「帰って来いよ。子でも孫でも良いから、私が死ぬ前に連れてきて、男爵位だけは継いでくれないと、義父上が化けて出る」
「もっと早くに帰るさ」
酒の力もあって私たちは陽気に笑っていたが、給仕をしていたタリアは、少し涙混じりの笑顔だった。
息子が旅立つ日、私は屋敷の裏の丘に立って、街道に向かう息子を見送っていた。己が冒険者だった頃、何度も昇った丘だ。クシュカと語った丘だ。
そこから眺める息子の背中は、なかなか見えなくならず、少し見ているのが辛くなってきた。
私は重くなる心を振り捨て、体ごと振り返り、屋敷へ歩き出そうとした。
風が揺れるな、ふと斜め前を見ると、誰かが立っていた。
ドゥスだった。
相変わらず小柄だった。髪は、あの頃より短くしている。全く年を取ったとは思えない顔を見て、私は感動と慄然を同時に味わっていた。薄い色の貫頭衣も、鹿皮の長靴も、記憶のままで、私は自分が夢の中にいるのかと思った。
思わず伸ばした自分の手が、私の過ごした真実の歳月を教えてくれた。もう消えないだろう傷、黒ずんだ染み、皮膚は四十才を越した年齢に相応しい老化を見せている。
「ひさしぶりね」
声まで、変わっていない。くすくす笑いは困った感じだ。僅かに悲しそうな瞳。
「あのね、私、今の旅の仲間の代表として、新しい仲間を迎えに来たのよ。『赤色小鬼』亭に仲間の紹介を求めていた、剣士ジョスランを」
「ジョスラン……ジョスランは、そこに……まだ、見えている」
慌てて振り向いて、指ほどに小さくなった息子の姿をさがす。
落ち着いたままドゥスが呟く。
「すぐに追い付くわ。オランまでの近道なら、いっぱい知ってるもの」
「ジョスランと知って、君は」
「そうね、あなたの息子ね。あなたの息子と、私は、旅をするのよ………」
浮かんだ笑いはくすくす笑いではなく、郷愁を帯びた、遠くを見るやわらかなもの。
「私はいつまで生きるのかしら。ジョスランの息子も、その息子も、見る事が出来るんでしょうね」
「ずっと君は、一人でいるのか」
「だって、私は、ずっと傍には居られないわ………………」
ドゥスと初めて会った時の、彼女の表情の意味を、今になってやっと理解した気がした。
その場をすぐに去ったドゥスの、最後の言葉が、今も私の耳に繰り返し聞こえている。
「だから、こうやって、こんな事を続けていくの。ずっと………」
ーーずっと、ずっと。永遠の命が果てるまで。
終劇